Archive for 7 月, 2009

「仕事ができる人はなぜレッツノートを使っているのか?」

忙しい数ヶ月の間にいろいろ買いためてた中の1冊、表題の本を読んだ。
私はちょっと前、はじめてモバイルノートPCを買ったモバイル初心者で、おかげでかなり自由にはなったものの、もうひとつ自由になりたいというか、持った甲斐があったらいいなと思ってて。
そのポイントはやっぱり、普段に近い環境をいかに持ち出せるか、ということ。
モバイルノートと家のディスクトップが、それぞれの分断した役割しか果たしてなくて、いざ、モバイルで家の仕事を持ち出さなくちゃ、となったときには環境を作るがちょっとめんどくさい。その面倒さが、自由度を目減りさせている気がしてた。
そんなわけで、モバイル生活の長い著者が、どんなふうにモバイルPCを活用しているのか、ということを、かなりいろんな面から、くまなく披露してくれた感じのこの本のおかげで、「あ~・・・そういうのがあるんだ~」の連続でした。
残念なのは、ウチの今メインになってるディスクトップがWindowsXPHomeEditionで・・。ノートはVistaBusinessだから、かたっぽは試せるけど、片手落ち・・的な便利機能の側面がわかってきた。ディスクトップ、Vistaにしようかな。でも、ここまでXPできたら、Windows7を待とうか。
モバイル初心者にとっては、助かる本。レッツノート使ってない人でもだいじょうぶ。

「フリーランス」

毎日新聞に 脱「泣き寝入り」へ結束 と題して、フリーランスの人たちの労組の話が載っていた。主に、「フリーランス」というある意味宙ぶらりんな形態をとって働く人たちの、国への制度整備を促したい、といった内容と読み取れた。報酬の不払いや一方的な打ち切りなどの目にあいがちなフリーランスが、みんなで問題を共有し、ベースアップを目指すためにも組合が必要、とのこと。
それは、意味のあることと思う。
でも身近な感じでいくと、問題はそこまでには至っていない。むしろ、その「問題意識の薄さ」が問題なのではと、つねづね、思っていたりする。
例えば、若い人なら結婚後のこと、もうちょっといった人なら生活の「維持」のこと、私くらいだと老後のこと、「親」のこと、少しでも考え、何か動きを起こしているかどうか。
この間、「女性は金銭と、その周辺にある情勢の読み取り能力が男性よりも鋭敏で、金融商品への学習能力が高い」とどこかで読んだが、それは女性だからというよりは、女性は「結婚」「出産」「育児」「職場復帰」といった場面で、いちいち知識の有無で情勢と損得が決まるため、おのずとその力がつくのではないかと私は思う。
つまり、危機感の差だ。
なんたって、夫の選択ひとつが、(あっちが収入の核になっている場合)こっちプラス子供の人生を左右するのだ。危機感を抱かないわけがないよ。
良いCMSはどんどん増えるし、MTはメジャーバージョンアップするし、HTML5が標準になるし、windowsも7になる。
高校生まで子供をみてて再認識している今日この頃なのだが、基本的にそういった技術に関する「学習」は、やる人はひとりでもやるし、やらない人は集まったってやらない。そして、やる人は、静かにいつの間にかやってる。「やらなきゃ」と思うところから、すでに能力なのであり、「やらなきゃ」→「やる!」が出来れば、それでOKなのである。
だからそういったことに関する勉強会は、有意義ではあるけれど、「必須」ではない気が最近している。
共有したほうが問題って、もっと他に、ないのか。・・・
でも、「問題を共有する」ということは、自分の抱える問題を表にさらさなくてはならない。そこに抵抗のある人が多い。あるいは、まだ自分の抱える問題に目が行っていないか、どちらか。目をやってしまえば、把握したり解決したりと、様々な労力が必要になる、だからそこから目をそむける。
「フリーランス」でずっとやっていけるのか?
自分が健康で、仕事をフルにこなす時間が確保できるのが「フリーランス」でやっていられる条件だ。その体制をこのまま何十年、どうやって維持していくか、あるいは維持できなくなったらどうする?「それはそのとき」?
・・・しかし、できるとこからでも何かやったほうがいいんじゃないのと、私は思うけど、そう思わなくたって別にフリーランスなんだから好きにすればよいのも当たり前なわけで・・・
結局私も、そこを棚上げする以外にないのだけれど・・・・うーん。

障害

さっき、はてなを見てて思いだしたのだが、
そう、昨日ニュースに出ていた、障害のある子が普通の中学校に入学を拒否されていたのが、OKになったという話。
もちろん、障害のある・ないのラインもとても微妙で、その辺は非常に、難しいところではあるのだが・・・
ちょっと記しておきたいと思う。
少なくとも、介護者に背負われて階段を上り下りするテレビの姿は、「安全」とは、言い難いと私は思ってしまった。
どういうケアが学内でされるのかは、詳しくわからないけれど、
あの状態で、ちょっと走ってきた子供が、あの介護者にぶつかって階段を落っこちでもしたら、と、考えるのは用心深すぎるか?いや、私はやっぱり考える。
学校の中は、人をおんぶして歩いて安全なように、考慮されてはいないのだから。
普通の学校に行かせたい気持ちは「これまで町立小学校へ通っていた」から。それは、わかる。
環境が変わるのは、子供にとってすごく影響の大きいことだ。
「社会に出れば普通の人たちの中で生きていくのだから、ずっとその中で生きていくのが必然」というようなことも、お母さんが語ってらした。
でも、「その中で生きていくための力をつける教育」は、むしろ、障害のある子供のための教育機関で行われるのではないだろうか・・
普通のコたちも、中学の3年間では驚くほど変わる。
あの子が、ああなった!?みたいなコもどんどん出てくるし、みんな、いろんな価値観の確立に忙しい。
ただでさえ、翻弄され続けている中学校の先生たちが、あのコの底にある「力」を、果たしてちゃんと引っ張り続けていけるだろうか。
よそのおうちの娘さんだけど、なんだか・・

「断る力」

前は技術的な書籍ばかりに目がいっていたので、ビジネス書の類は、1年くらい前までは全然読まなかったのだけれど、読み始めて、いろいろ面白いコトが多い。
大学時代、岩波新書とか講談社現代新書読んでいたのと同じ感覚だ。まったく書き手は、いっぱいいるもんだ。
ほんとは、やってみなけりゃやり方もわからないことが、そういう本は、ひもとき加減がとても親切。そこが、「専門書」ではなく、ビジネス書、というジャンルなんだろうな。
最近、仕事がほんとに忙しくなってきて、ありがたい。
だけど、「忙しいこと」がありがたいからといって、それに流されるままにいってしまったら、自分の大事なとこをすり減らしてしまう予感がしてきた。
という中で、勝間和代「断る力」を読み進んでいるが、いつも細切れで、なかなか読み進まない。
文体のせいもあるかもしれない。読みにくくないはずなんだけど、なんかこう、硬い。よくも悪くも、この人の性質そのままが流れている感じで、かちかちとしている。
言いたいことはわかるし、あーそういうこともあるかも、と思う。この人はこうやって、成功してきたのだということが、すごくわかる。
でも、世の中、こんなに硬質なものじゃないんじゃないかな。
「生産性をあげる」「成長する」
あなたはそれを、何のために?
・・・などと思いつつ帯の、気の強そうな著者のお顔をしみじみと見たり。
そんなこと問われても、ビジネス書の立つ瀬がないだろうけど。だって、ビジネス書における「成功」は、そういう「成功」なんだから。
でも、今私が望んでいるコトとは、ちょっと違うような気がする。
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ここから後日の更新。
「生産性をあげる。それは、何のために?」
と問うてみたのだけれど、あれからまた考えて、分かった気がした(ばか)。
生産性をあげるのは、もっといろんな人の役に立つためだ。
硬質なのは文章だけだね。
仕事は、基本的に「役に立ってお金をもらう」ものだから、「もっと役に立ってお金をもらう」には、生産性をあげるのが正しい。
その、達成のためにネックになっているところは、自分でみつけていってよい環境をつくるのはまっとうなことだ。
そこには当然、リスクの負い合いがあり、摩擦は生じる。
でも、絶対、次に進むためには必要なことだ。仕方ない。
私のことを頼りにしてくれるお客様がいて、自分がもっと力をつけてできることを増やしたらもっと喜んでもらえる→報酬になる→仕事として成立する。
そして、若いころとは当然、「力のつけどころが違ってきている」今、どこをがんばっていくか、ちゃんと見る時間も必要だ。
がんばる。
偶然か必然か、私の現実とシンクロした部分があったのて、今こそ断る力、発揮(w
実はこの本を読むまで「勝間和代さん」を知らなかった。テレビでも。
この間、娘の高校の何かにこの名が載ってて、娘は「あの人よ、ほら、あの人!」と、表紙の断るポーズを決めてました。
もっとなんか読んでみよう。

料理脳

うちの晩御飯、この2、3週間くらい、素材を大事にした感じのメニューが続いている。
にんじんのきんぴら。なす炒め。ピーマン+しいたけ炒め。ゆでブロッコリー。小松菜のおひたし。かぼちゃ煮。甘塩鮭。生干しサバ。市販のうなぎ蒲焼。鶏、豚、牛のローテーションで、照り焼き、塩焼き、塩焼き+バジル、塩焼き+こしょう・・・・
昨日は、買ってあった牛肉ブロック(グラム98円の大安売りオージービーフ)を、淡々と大きさふぞろい、厚さ0.7ミリ程度に切り分けて、焼いた。仕上げにお醤油+黒こしょう。
要は、料理をするアタマが今、欠けているのだ。
何かと何かを組み合わせて、これやあれで味付けすれば、はい、こうなります、というのを、いつもは何となく経験でやっているわけだけど、しばらくずっと仕事脳が働き、個人的に少しつらい期間が続き、復活してきたものの、料理脳がどっか飛んだまま。
なんとかしなくちゃ。
とりあえず、今日はカレーにしようかな。挽肉、じゃがいも、にんじん、たまねぎ、なす、しめじ、しいたけ。
複数の素材が使われて、過程を踏んで完成に至る、という経験を、思い出さないとね。
今、はるさめの中華風炒めとか、肉じゃがや、昆布と野菜の煮物とか、普段作ってた(はず)小鉢系をいきなりつくると、たぶん、失敗して、もっと長引きそう。