Archive for 2 月, 2010

「奥さん」の確定申告

先日、確定申告を終えた。
今回はけっこう前から準備してたので大丈夫だった(日々こつこつやればもっと大丈夫なのはわかってるんだけど、なかなか)。
私は個人事業主だけど、夫がサラリーマンなので、税金的&社会保険的に近年、微妙。
私の立ち位置の「奥さん」がたぶんあまりいないせいか、夫の会社の経理担当者の処理もなにやら「?」で、おととしあたりからこちらも、前以上にいろいろ知っておく努力をしている。ネットで検索するとこういうヒトは結構いるらしいのだけど、夫の会社でレアケースだと、要注意です。アレ?と思ったらまかせちゃわないほうがいいみたいよ。
「奥さん」でも、青色申告はできるし、年金と、社会保険と、続き柄は別モノだ。
本来、国民年金の第3号被保険者、国民年金の第1号被保険者、それぞれ、特に金銭面ではメリット・デメリットがあって、それは好んでなったりならなかったりっていうよりは、立場が変わってきたらそれに合わせてそうなる、という性質のもの(と私は思ってる)。
とはいえ、金額的負担に差があると、ちょっとでも有利にと考えるのは人情で・・・
でも、ここで金額的負担に差があるのを優先するのと、現状とこれからに合わせて立場を変えていくのとどっちがいいんだろうか、なんて考えるのも、「奥さん」ならでは。
国民年金第1号被保険者だからできる、いろんなこともあるし。
そういう立場だから、アンテナをはっていろいろ調べていると、知らないことの恐ろしさというか、損を思い知る。知る機会が得られてよかったな。

本と雑誌いろいろ

もともと、本と雑誌はそれほど悩まずに購入する方なのだが、ここ数日、ストレスたまってたせいか、なおさら・・
たまに、ご紹介。
まず、これ。 家電批評 増刊 PC批評 2010年 02月号 [雑誌]

↑Windows7をまだ手にしていないので、そのへんを知りたいなと思ったのが手に取ったきっかけだったけど、そもそもノートPCにそそられるタイプなので、CULVのスペックがどのくらいなものなのかとか、今お買い得とされるA4ノートってどのくらいなもんなのかとか、とにかく読むところがいっぱいある。しかし、買うつもりなどなかったのに欲しくなるものが多すぎるのでまずいかも。
そしてこれ。 体脂肪計タニタの社員食堂 ~500kcalのまんぷく定食~

ちょうど、義母のごはん・体調をくずしがちな娘のごはん・だんだん加齢していくわたしたちのごはん、と、ごはんのことを考える機会が増えてきたので、目に付いた。体重計のタニタの社員食堂の、500kcalの定食メニュー集。食堂担当の方からの、素朴なメッセージからはじまり、食堂を利用している人たちの実際の声が巻頭にあって、なんかやる気が出る。最近、ナチュラル系装丁の本はやたらと多いが、傾向としてはそっち。だけど中身は、ナチュラル系Cafeメニューではなくて、もっと実直な「ごはんの献立」で、いい感じ。えのきや、チンゲン菜など、あまりがちな素材をどうするか、ちょっとメモなんかあったりして、実用的かつ、かわいい。
で、海猫ツリーハウス

私はペンギン好きなので歓迎なんだけど、どうして表紙はペンギンなんだろう?と思う。ウミネコのヒナ?と改めて眺めたが、どうみてもペンギンだよね。なんといっても、セリフが南部弁なのが特徴的。青森のコトバというと、津軽弁、そして松山ケンイチのおかげで下北弁が多少知られたと思うが、脚光のあたりにくい南部弁が今ここに。私はこの舞台・八戸出身で、津軽に来てからのほうが長くなってしまったけど、それでも「いが」に「おまえ」をルビが振ってあったりして、感慨を覚えた。いが、ねえ。軽くて重くて、軽い。普遍的なものも感じる。
あと、 マンボウ家の思い出旅行

小学校から中学にかけて、大ファンといってよかった北杜夫。82才で、うちの父と同じ年ということもあり、近年それも親近感を覚えている。ほんとに私が小学校のころとかは、今の東野圭吾とかみたいに、新聞に大きく新刊の広告が出るような作家だった。同時期くらいな作家がどんどん他界する中、まだマンボウをうたっていてくれて、うれしい。内容は、何度も読んだような松本高校時代や冒険?時代の思い出話。なんだけど、中身が云々より、書いて出てることが、うれしい。
はじめて買ってみたこんなの。 日経マネー 2010年 03月号 [雑誌]

「あなたもコレで確定申告名人★」というコトバがぴかっと。それもそうだが、最近、ある仕事でお金にまつわることをあれこれしているので、より一歩近づいてみようという、最近の試みである。生島ヒロシは、こんな世界で活躍しているとは聞いていたけど、写真を久しぶりにみた。確かに裕福そうだ・・
他にもいろいろあるけど、ひとつくらいはWEBの本を・・ XHTML&CSS超高速コーディング術

ついったーで話題になってたのが本屋で売ってたので買ってみた。私は制作をチームで行ったことがない(分業はあるけど)ので、数人以上のコーダーで仕事するときは、こうやってるんだなーとか、この会社ではテンプレートこうしてるんだ、へー、と・・。「牧野工房の場合はこうだ!」ということがきちきちと書いてあって、興味深い。今現在は、コーディングだけ受けることはほとんどないけど、なんかこれからまたコードって大事そうな予感がする。
とりあえず今日は、タニタのお料理本のひと口メモにあったので、余ったえのきは、ゆがいて冷凍することにしよう。

しばらく放置していた間に、いろいろなことが起こった。
もともと体調を崩している義父母の介護の問題が、にわかに現実味を帯びてきた。
もちろんプライベートな話なので、詳しくは書かないのだが・・・
うちは、私がそうしたいといったわけでもなく、最初から義父母とは違う、少し離れた場所に家を建てるよう準備されていて。
それからまあいろんなことがあって、彼らとは特に親しくすることもなく、いがみあうこともなく。たぶん、「関係を持たないことで関係を維持する」ような、微妙な間柄だった。
夫と私に様々な嵐があったときは、実は彼らがコトのカギを握っていて・・・、その一度だけ、私ははっきり、彼らにぶつかりにいった。
しかし、あちらは受けて立つことは、最後まで無く。亀裂は埋まらず、広がりもせず。
その後、電話などで普通に会話が成立するようになるまでには、3年くらいかかった。
それからはますます、無関係な嫁と舅姑であることが、平和の元。
今、必要があって病院へいっしょにいけば、私は嫁で、あちらは姑。
医者も、看護師もケアマネージャーも、私に話しかけてくるが、私は、返すほど、彼女の情報を持たない。同居してないし、よく知らない、と説明すると、今こそよく知り、同居すべきだと思わないか、暗に問われる。
正直、本当にそれが必要なら、私は構わないのだ。
(認知症状が少ないというのも、構わない理由。それがあったらもっと悩む、というか別な対策を考えると思う)
関係が硬化した時期もあったというのに、そういう自分が不思議なくらい、私は今、別に、悪い感情を舅姑に抱いていない。
どうしてか自分でも不思議で少し考えてみたのだが、つまり、ケアを業務にしているヒトと同じ感覚なのではないかと思う。ようは、そのくらい知らないし、他人なのだ。
仕事を犠牲にして駆け回っても、やれやれなんであたしがと、思わないのは頑張ってるからではなくて、なんかそれが役割だという割り切りが私の中にあるから。
しかし、それが相互であればいいのだが、あちらはそうでもないらしいことが、やはりだんだん如実に感じられてくる。
当然だ。こっちは、切り込んでいく側だから痛まないが、あっちはこれまで好きに暮らしてきた生活に、他人である嫁に正しさ(医者のああしろこうしろを、嫁はいうこと聞かせようと、するわけ)を片手に切り込まれて、たぶんひりひりしているに違いない。
嫁なのだ、嫁。
いくつかのエピソードを経て・・・
私は、今、黙っていることを頑張っている。
たぶんあれがないから買わなくちゃとか、これを準備したほうがいいのでは、と、察しがつくことがいくらもあってつらいけど、それを、嫁がやることを、姑はおそらく喜んでいない。こちらがそれを、ひりひりと感じるようになった。お互いの摩擦で、あちらのカラダにもストレスのひびが入る。
私は、彼女と真っ向からぶつかることができない。だから、私は黙っていることに頑張っている。
その場合、彼女がどうするか想像するに、もしかしたら無理して自力で買物に行くかもしれない。
それが今この状況で、彼女にとってマイナスなことは私は120%わかっていて、彼女もたぶん、わかっている、が認めない。
認めない。私はできる。私が何とかできる。私が出来る範囲で、なんとかする。
今、その気持ちを遮って、医者の言う正しい選択を促すのは、私の仕事ではない気がする。
それをする権利と義務があるのは、血のつながった可愛い息子ただ一人。