Array ( [0] => 12 [1] => 14 [2] => 13 [3] => 1 [4] => 17 [5] => 16 [6] => 11 [7] => 15 ) Fairground_vol.7 » 嫁

しばらく放置していた間に、いろいろなことが起こった。

もともと体調を崩している義父母の介護の問題が、にわかに現実味を帯びてきた。
もちろんプライベートな話なので、詳しくは書かないのだが・・・

うちは、私がそうしたいといったわけでもなく、最初から義父母とは違う、少し離れた場所に家を建てるよう準備されていて。
それからまあいろんなことがあって、彼らとは特に親しくすることもなく、いがみあうこともなく。たぶん、「関係を持たないことで関係を維持する」ような、微妙な間柄だった。
夫と私に様々な嵐があったときは、実は彼らがコトのカギを握っていて・・・、その一度だけ、私ははっきり、彼らにぶつかりにいった。
しかし、あちらは受けて立つことは、最後まで無く。亀裂は埋まらず、広がりもせず。
その後、電話などで普通に会話が成立するようになるまでには、3年くらいかかった。

それからはますます、無関係な嫁と舅姑であることが、平和の元。

今、必要があって病院へいっしょにいけば、私は嫁で、あちらは姑。
医者も、看護師もケアマネージャーも、私に話しかけてくるが、私は、返すほど、彼女の情報を持たない。同居してないし、よく知らない、と説明すると、今こそよく知り、同居すべきだと思わないか、暗に問われる。

正直、本当にそれが必要なら、私は構わないのだ。
(認知症状が少ないというのも、構わない理由。それがあったらもっと悩む、というか別な対策を考えると思う)
関係が硬化した時期もあったというのに、そういう自分が不思議なくらい、私は今、別に、悪い感情を舅姑に抱いていない。
どうしてか自分でも不思議で少し考えてみたのだが、つまり、ケアを業務にしているヒトと同じ感覚なのではないかと思う。ようは、そのくらい知らないし、他人なのだ。
仕事を犠牲にして駆け回っても、やれやれなんであたしがと、思わないのは頑張ってるからではなくて、なんかそれが役割だという割り切りが私の中にあるから。

しかし、それが相互であればいいのだが、あちらはそうでもないらしいことが、やはりだんだん如実に感じられてくる。
当然だ。こっちは、切り込んでいく側だから痛まないが、あっちはこれまで好きに暮らしてきた生活に、他人である嫁に正しさ(医者のああしろこうしろを、嫁はいうこと聞かせようと、するわけ)を片手に切り込まれて、たぶんひりひりしているに違いない。
嫁なのだ、嫁。

いくつかのエピソードを経て・・・

私は、今、黙っていることを頑張っている。
たぶんあれがないから買わなくちゃとか、これを準備したほうがいいのでは、と、察しがつくことがいくらもあってつらいけど、それを、嫁がやることを、姑はおそらく喜んでいない。こちらがそれを、ひりひりと感じるようになった。お互いの摩擦で、あちらのカラダにもストレスのひびが入る。
私は、彼女と真っ向からぶつかることができない。だから、私は黙っていることに頑張っている。

その場合、彼女がどうするか想像するに、もしかしたら無理して自力で買物に行くかもしれない。
それが今この状況で、彼女にとってマイナスなことは私は120%わかっていて、彼女もたぶん、わかっている、が認めない。

認めない。私はできる。私が何とかできる。私が出来る範囲で、なんとかする。
今、その気持ちを遮って、医者の言う正しい選択を促すのは、私の仕事ではない気がする。
それをする権利と義務があるのは、血のつながった可愛い息子ただ一人。


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