トップ  »  ブログ  »  いろんな話

webtitle.gif


ラジオ

中学生のころ。

中島みゆきのオールナイトニッポンで「給食のコーナー」てのがありました。
深夜2時くらいのその時間、決められた食材を準備しておいて、中島みゆきとリスナーみんなで食べる、という・・・。

こっちから何か言えるワケでもなく、リスナー同士が交流できるわけでもない。
ただ「中島みゆきと、同じものを、同じ時間に食べている」というだけが、持ちうる意義。

でも、なんか、満足 w

あのときもし、mixiやTwitterみたいに、「今日のうめぼしはイケル!」とか「そっちはどこ産?」とか、もし直に応答しあう方法があったとしても、個人的「満足感」は、減ることはあっても、増えることは無かったと推測します。

「ネットでつながる」ってことは、楽しいことだけれども本質じゃない。
ひとつの方法ではあっても、世界を形成したりはしない。
個の世界においては、ラジオで「つながった気がしていた」だけのあの時間が産み出した、ちっちゃな満足感にも負けるリアリティ。

ネット上で飛び交う言葉に、傷ついたり、悲しんだり、死んでしまったりする子供たちに、こんなことを伝えたいけど、伝えるには、ネットのない世界にしちゃう以外ないような気がしています。
そうすると商売にならないので、困るのですが・・。

普通に暮らす

ネットカフェ難民とか、後期高齢者医療制度とか、普通に暮らすことそのものに関わってくる問題が、最近多いですね。

私が子供の頃、両親は、お金に関することを私に言いませんでした。たぶん、姉たちに仕送りをして、これからお金のかかる私という末っ子を抱えて、結構苦しかったとは思うのですが。
また家庭内に、嫁・姑の問題やら、親戚間の問題やら、様々な状況が根底に流れていても、常に一番下の「ちっちゃい子」扱いだった私がそこへ目を向けないように心配りがされていて、私はそういうことに、全く疎いまま育ちました。

しかし勉強と進路には厳しく、私の望んだ「夢」っぽい事はダメ出しされ、結局、学校も親も最も無難と思える道へ、私自身は、希望も絶望も持たない無表情な状態で進みました。

今思うに、あのダメ出しは、「そんな道は先々安定しないからダメだ」とかいう以前に、実は「お金がかかる」という、ごく現実的な理由があったのかもしれません。それを察するには私は無知で、想像力が全くありませんでしたが・・

今、高校受験を控えた娘の親となって、そのころの私の両親を、時々思い出します。

私は、自分の両親と違って、お金の話も家庭不和(汗)も親戚間の話も、かなり筒抜けで娘に話しています。
それを受け止める娘にただストレスが溜まらないよう、円滑な関係を保つのが大前提ですが、子供時代に見た「生きる上での困難」って、オトナになって身をもって知るのとは、全然色合いが違うように思うのですよね。
何かに守られる喜びみたいなやつを、恩着せがましくなく伝えられるのは、そういう過程なんじゃないかと・・。

無知・無垢だった私もオトナになり(^^;家庭とシゴトを両輪ずっと回し続けてきて、さすがにずうずうしく折れにくくなってきました。
娘の、あちらこちらへ不安定に飛ぶ「夢」らしきものと、現実にかかるお金や、その「夢」の先にある将来を思って、「・・・・」という気持ちになることもしばしばですが、みっともなくてもそのままの姿を娘には見せることが、自分の願う「普通」の通りに暮らしていくため、踏み台程度にでも、役に立ったらいいなと思います。

本の余生

本を置くスペースが足りなくなり、床に山積み状態も限界に達したので、今日は朝から本棚の整頓をしました。2008042910430000.jpg
PTAや娘の学校関係の書類・プリントとか、無作為にたまっていたものを破棄。それから、やたら多い、業者から送られてくるカタログとかかさばる封筒を破棄。そして最後に、昔使ったけど今はもういらない本をピックアップ。その半分は、一度Amazonに中古で出品したけど買い手がつかなかったもの。なので、処分するならあとは近所の古本屋です。
パソコン関係の本って世代が古くなると手にする機会がなくなりますが、中には、その本を利用したからできたいろんなことが思い出されて、どうも処分しづらいものが。WEB関係ばかりではなく、パソコン講師時代に取得した古~い資格の本とか、CADオペ時代に買っていたCAD&CGとか。
どうせ売りに出してもソフトそのものがもう無いからゴミと化す。だったらここで余生を送ってもらおう、みたいな感情移入のしかたをしてしまいます。
もう開くことすらためらわれる、何十年も前に買ったような極小文字の文庫本も、そんな迷いとともに書棚に収まったまま。
前は、なんでもわりと躊躇なく捨てるタイプだったけど、年とともに本に関してはますます、捨てられないタイプに移行しつつありますね。写真は、やっと抽出した処分予定の本。

軽自動車へ乗り換え(2)

「残価設定型クレジット」の次に、ビジネス用のリースを検討しました。

これまで知らなかったのですが、リースは、車検と税金も、購入時のもの(タイヤとか。青森で必須の冬タイヤも)全てと含めてリース料金に含められるんですね。
「ボーナス」とは無縁、収入に波があるので、車関係のまとまった出費のために意識して貯蓄の枠をとりおいてきた私にとっては、これが最大の魅力でした。
それに、税金、車検、メンテナンス料と、そのたびに経理上どう処理するのかいちいち悩んでいましたが、リースは按分して「経費」としてすっきり仕分けができるようで、それもいい。

私の場合、新車を頭金無しで買うのと(さらに車検と税金を普通に払う)、全部まとめてリースにするのとでは、金額的には大差なく、違いといえば「車」に対する考え方、くらい。

車を自分の財産と考えたい人にはリースはあり得ない選択でしょう。

でも、車を、空気のような存在、日常の相棒的に考えている私には、元気な5年間いっしょに付き合って、時期が来たらお疲れ様!じゃーねー、というのもいいなあと思いました。
それに、5年後、社会がどうなってるか全然わからないしね。そのとき、他の「足」が出来ているかもしれないし、「足」のいらない生活ぶりかもしれない。

リースも走行距離設定がありますが、私の場合はほとんど街乗りで、今までも年間1万キロ行ってない程度なので安く済みます。
事故時の扱いなどいろいろ聞いて、リースに決めました。

と、ここまで車やさんと話していて、支払いの話ばかりで車の話を全くしていないことに気づき、面白かったです。「あ、そういえばオプション、いらないですかね」「ちなみに色は・・」みたいなことを玄関先で会話して終わっちゃいました。
現物も、「街中でみたことあるからいいや」で終わり。金額的に「安い」というのが最大のポイントだったので、他の選択肢がないという・・

「コレ」という設定車種はあっても、そのものについて、「乗り物」以上のプラスアルファを期待をしていない私。相手が長い付き合いの営業マンだということも大きいですが・・
こういう人なら、リースは有意義なものになるんじゃないでしょうか。

軽自動車へ乗り換え(1)

ついに決行しました。普通車から軽自動車への乗り換え。
走るのはほぼ市内、車は「足」として利用しているのみで特にこだわりもありません。それなのに、高い税金を払って普通車に乗り続けるのはどうなんだろうと、ずっと思っていたのが理由のひとつ。
それから、上がり続けるガソリン代に、燃費の悪さが気になっていたのもあります。車が小さくなることで、いろんな面がコンパクトになりそうな気がしました。

ただ、今現在は車のローンは終わっているので、新しいローンをどーんとかぶるのは負担・・だけど子の調子だと、たぶん数年後にはまた乗り換えたいと思うでしょう。そうなったとき、手持ちの車が下取りに出せないであろうことを想像して、今の乗り換えを決めました。

頭金は、ほぼ無し。考えられるとすれば、下取り分程度。
調べてみると、リースと、残価設定型クレジットという、普通の購入以外の方法があることがわかりました。
私の場合、個人事業主なので、ビジネスタイプのリースも利用できることも踏まえつつ・・
まず検討したのは、残価設定型クレジット(日産の場合)でした。
リースは、結局、払っていても自分の車になるわけではなく、いってみれば「使用料」を払い続ける感じですが、これは、「クレジット終了時」の支払い額(残価)を除いた額をローンにし、終了時に「それを払って自分のものにするか、車を返すか、新車へ乗り換えるか」選ぶというものです。自分のものになる可能性もある。
でも、営業の方に話を伺うと、最終的な車両の状態が条件を満たさなかった場合に当初の支払い見込み額が変わったり、事故にあった場合のことがイメージしにくかったり(負担が増える?)という不安材料があったので、やめました。
あと、走行距離に各々制限がつき、超えるとその距離あたりの加算があるので、たくさん走るかもしれない人には向かなさそうでした。

大病院

最近、子供が大きな病院で検査を受けました。
私の家は大病を患った人があまりおらず、大病院には縁がありません。
そんな親子は、余裕を持って家を出たはずなのに延々と待たなくてはならなかった駐車場ですでにくたびれてしまい、さらに名前を呼ばれるまで、目指す診療科を受診し終わるまで、別な診療科で書類ができるまで・・・いちいち待たされ、慣れない広い院内をうろうろと歩き回り、次何が起こるか予想できず・・・本当に疲れました。
よく新聞の投書欄で読んでいたことは、こういうことかと、ココロから実感。
でも、大病院の受付が午前中に終わることには何となく納得です。だってあの調子で午後も受付けていたら、夜中になっても診療が終わらないですからね。
辛抱強く病気と対峙し続ける待合室の方々。「待つ」ことしかできない、患者の家族。今は、想像しかできない、当事者としての入院病棟。
病院から開放され、普通に夕日をみることができる喜びを感じることができた反面、大きな病院のシルエットを振り返り、申し訳ないような、不思議な気持ちが湧いてきました。

青色申告・・

おととしまでは、フリーのおこづかいソフトみたいなやつで白色申告をしてきたのですが、昨年、はじめて「やよいの青色申告07」を買いました。時々まとめてデータを入れていたのですが、少し前、大きな誤解をしていたことが判明。
どうやらこのソフトだけでは、今年度の青色申告用の書類作成ができないみたい・・
たぶん、その世界では当たり前の事実なのだと思うのですが、それに気づくまでに結構時間がかかってしまいました。

知り合いが別な青色申告ソフトを使っていて、「サポート契約をしているから青色申告用のCDは自動的に送られてきたよ」といっていたのをふと思い出し・・。
そういや私はサポート契約ってしてなかった、だから送られて来ないってことね、そういう場合はいったいどうすれば・・・?手で書けばいいんだろうけど、何かふに落ちないような・・

その問題は置いといて、とりあえずバージョンアップの一環として「やよいの青色申告08」(今度はサポート契約つき)を買いました。届いたのを見て、どうやらコレを入れればいいみたい、と、バカな私もさすがに気づきましたが、旧版でやりたかったことが新版を買わないと完結しないというのが、イマイチ納得できず、早速サポートに聞いてみました。

それで納得。サポート契約が結構な金額なのは、単に電話やメールサポートが目的なのではない。
最初に1個買った版を元に、税制改正において生じた差分CDをずっと継ぎ足ししていくことが、税金のしくみ上必要だからその分込み、ということなのですね。
ちゃんと把握して使えって感じですねえ、自分に。これからはもうちょっと、お金世界とも親しくなりたいものです。

料理

ギョーザ事件で、手作りギョーザ&脱冷凍食品に目覚めた方も多いと思われますが・・

私はそもそも、「今年は料理をちゃんとする」のを目標に掲げていますw
これまで、料理に対してどういう取り組み方をしていたかというと、それは、お世辞にも清廉なものではありませんでした。お惣菜や冷凍食品を組み込みつつ「品数が揃える」という思いだけで買い物をしていたと思います。
料理自体が苦手とか、キライとかいうわけではありません。そうではなく、ようするに、料理の重要度が低かった。料理に手間をかけるなら、他にもっと重要なことがあるからそっちをやりたいと常に思ってた、ってことかな・・。
「休日にどんと作って小分け冷凍すると、平日手間をかけずに準備ができるよ!」とか指南する記事もよく目にするけど、それは「そのように工夫して、きちんと料理を出したい」という思いがあるから成り立つこと。料理の重要度自体が低かった私には、そんなのは続きようがありませんでした。

それが昨年、夫の母親が病気で入院し、このことがあらためて自分の年齢や、家族や環境という現実を見直す機会になりました。
入院中、そして退院後、義母がおなかに入れるものがそのままいろんな状況に反映し、一喜一憂したのが身に沁み、私が担当している、たった3人分の料理を準備する役割の重要度合いをあらためて感じたのです。
そして、おおげさなものじゃなくてもいいから、自分が手をかけ、それが身体に及ぼす何かを意識して、食卓に出そうと、ふと思いました。

でも、私はあいかわらず他のことでも忙しくしていたいし、特にエコライフやスローライフに傾倒するタイプでもありません。それに、冷凍庫に入れちゃうと、端から存在を忘れていくので「ストック系」は全くダメだと自覚があります。(冷凍庫に放り込んだアブラアゲって、何故あんなに忘れるんだろう)
だから、無理のない範囲で。

例えば、味噌汁は実家の母を見習って、煮干と昆布で出汁をとる(昆布はそのまま食べる)とか。
小鉢が足りないと思ったら、冷食や惣菜で補わず、野菜を一品煮る・刻む・あえるとか。
去年買ったフードカッターは、ほぼキャベツの千切りにしか使っていなかったのですが、そういえばミンチもできるのですから、何でもミンチにして放り込んでみるとか。

本当は、青菜をひとゆでして何かとあえる、なんて、冷凍食品があったまるよりもずっと手間のかからないことだったんだと、このごろ思うようになりました。

ギョーザショックは、私の想像外の難しい分野にも影響が大きいだろうから、何らかの危機感は継続して持つ必要があるのでしょう。
でも、これをきっかけに家庭の手作りギョーザが人気復活だそうだし、「手包みギョーザ」は名前の通り、中国のおばちゃんたちが一生懸命手包みしていたものなんだと知ることが出来たし。

これを機会に、双方どこか足りなかったところを正常化して、前に行けたらいいなあと思うのですが・・・。呑気な話でしょうか。

ですます

別にある、個人的にやってきたブログと分けたのが初めてで、こっちにはシゴトのことを書こうとか思っていたのですが、そう考えてしまうと、何を書けばいいのかがどんどんわからなくなってしまう・・
それでは本末転倒なので、あまり考えずに書くことにします。
ただ、前からやってみたかったのですが、これ「ですます」。
他の方が「ですます」で書いているのを読者としてみていて、やっぱり印象がちょっと違うなーと思っていました。個人的な文章はずっと「である」で来たのでそれはそれとして、しばらく「ですます」でやってみようかなと。私としては新しい試みです。
もしも万一、個人的なブログのURLを見たいけどURLがわからない方は、お気軽にコメントででもお知らせください。

公開しました

でもまだ、なんとなーくヘンなところがある・・

とりあえず、今後ともよろしくお願いします。

CO2

この間、NHKの番組で、地球温暖化の特集みたいなものをやっていた。
なんかうちの夫は、「いや、昔から黒点の位置との関係ともいわれているから・・」とかいろいろ言っていたが、まあ温暖化の原因が何かはともかく、「CO2」の排出を減らすことが、とにかく今後のためには良いのだ、ということがよくわかった。


身近な取り組みでよく見るのは、買い物袋を使わないようにするとか、電気をこまめに消すとか・・
でも、そういうのって心がけはするものの、ふと空しくなることはないですか?
こっちがせこいところを節約節約と思っているのに、東京などの大都市ではその何百倍の電気があっというまに使われ、CO2をたくさん排出するイベントが、連日行われているわけですよね?
ショーアップとしてはわかるけれども、本質的には必要じゃない、という部分は、今のところやっぱり削る努力はされてない気がする。
 http://www.nhk.or.jp/bs/teigen/#housouyotei
ちなみに観た番組はたぶん、これです。偶然、遭遇しただけなので多少記憶が曖昧↑

イギリスの経済学者が、CO2をお金に換算し、精算する、という話をしていて、いくつか例があげられていたのが興味深かった。そういえばうちの年賀状が一部カーボンオフセット年賀状だったが、特に意識していたわけでもないけど、あれはヨーロッパから広がってきているものだそうで。


細かいところが違うかもしれないけど、ちょっと内容を紹介すると・・
「CO2排出量はここまで」という基準をクリアするために、ある大企業が、社員全員の経済活動の中で、どういうCO2の排出の仕方をしているか調査した。
すると、全世界にある出張時に乗る飛行機が最大のポイントだったそうだ。
そこで、飛行機移動せずに済むように、各社でテレビ会議ができるよう設備を整えた。


あるところでは、エタノール車の導入を進めるための対策がとられていた。
ガソリンスタンドに、ガソリンとエタノールと両方補給する場所があるのだけれど、エタノールの方が値段がずっと安い。なぜかというと、ガソリンには、排出するCO2分の価格が上乗せされているからなんだそうだ。
CO2税?みたいな。
そして、エタノールカーを購入するときには、補助金も出る。
ガソリンカーからエタノールカーへの切り替えはどんどん進むわけだ。(でも、ガソリンカーがじゃんじゃん廃車になる時、また別な負荷もありそうだけど・・)


そういえば、
うちの娘が小さい頃、アルミ缶をリサイクルして有効活用しようという番組を(テレビに影響されやすいヤツ)観て、ああ、そうなのか、うちもやってみようかと思って気づいたことがあった。
・・・でもアルミ缶って、どこで回収してもらえばいいんだ?そのころはまだ、このへんでは「リサイクル回収」はなく、店頭にも回収箱がなかった。
近くの廃品回収業者に電話して聞いてみたら、そういうことは一般向けにはやってないというお返事。
ジレンマに陥りつつ、アルミ缶はしばらく、燃えないゴミ行きにするしかなかった。
それから数年して、アルミ缶が回収されるようになり、やっと解消。


個人の意識がせっかく高くても、行動を起こすには実現できる環境が必要な場合もある。
今、民主党が「ガソリンを25円安くします」キャンペーンやってるみたいだけど、ホントは、そんなスーパーマーケットの店長みたいな身近さを打ち出すのではなくて、
「このように、高額になる一方で、しかも枯渇する最期の決まっている化石燃料に頼らない未来へ向けて、こういう対策が必要です」くらいな、頭良さそうな展望がほしい。
(だって、ガソリンから税金部分をとっちゃったら、国、その部分が足りなくなるんじゃないの?それに、さらにそこから値段あがったら、ただ削る発想じゃもう、策ないんじゃないの?)
それにしても、ガソリン値下げ国会でもいいんだけどさあ、CO2削減やら、身内同士の殺し合いが止まない件や、仕事がない人たちや、病気を抱えるたくさんの家庭や、誰もが関係のある老後の心配や・・問題山積みなはずで・・

別に民主党キライなわけじゃないけど、今朝のニュースで、得意そうに車の上でアピールする管さん見てたら、なんか複雑な気持ちになった。

抱負

年末年始、いろんなことがあってなかなか「前向きな新年」気分に切り替えられずにいたが、ここにきてやっと「今年は何をやろうかな」なんていう視点が戻ってきた。

いいことだ。


去年は、頑張ったし実りもいろいろあったけれど、なんだか偏った状態で滑るスケートみたいだったと思う。
重心が崩れているのに、回転が止まらない、みたいな・・。不思議な様子だ。


今年は、もう少し惑わず、自分の歩幅でいきたいものです。


今日、何かの再放送か、あまり見ない番組だけど、田舎へ長期滞在する旅行者を募ってまちおこしをこころみる業者のお話をやっていた。
詳しくみてなかったが、彼女はNPOか何かなんだろうか。
「まちおこしにつなげるんだ」という意思を強く持って、周囲を巻き込みながらその企画を実現させたものの、実現した矢先に不安に陥り、涙があとからあとからこぼれ落ちる。
何を不安に思ったのか、やんわりとしか言葉になってはいなかったが、でも、何となくわかる気がした。
でも、その初のお客さんが滞在を終えて帰るとき、彼女に「楽しかった、ありがとう、また来るね」と言い残す。それを聞いて心から報われた表情の彼女といっしょに、私もうれしかった。
そう、商売は何であっても、お金を払ってくれたお客さんに喜んでもらいたいのが基本。
お客さんが喜んでくれていないことは、こちらにとっても不幸。
そういう商売がしたかったから、私はひとりになったのだった。

いいときに、いいことを思い出したなあという気がする。
今年はそこからぶれることなく、 いきたいと思う。
自分のトレーニングは・・、Actionscript3と、MT4、Wordpressかな。

今年もよろしくお願いします!

フェア

「WEB制作」という言葉には、現場からすればあまりにも多くの要素を含みすぎなのだが、そこをざっくり言っちゃえるなら、私はWEBの制作作業そのものは好きである。
でも、商売の目標は、「WEBの制作」なのではない。
目標は、そのWEB制作を依頼してくれた会社に、利益=幸福をもたらすことだ。

たとえ大きな会社と小さな個人であっても、少なくともその「WEB制作」を囲む関係は、フェアでなくてはならないと思う。

フェアでない関係すなわち立場に高低のある関係は、「低いほう」に卑屈さをもたらす。卑屈さは目をくもらせ、本音にフタをする。「落ち度のないように」と目を配りすぎ、コトの本質を見失い、作業完了そのものを、本来の目的とすりかえていることに気づかなくなる。
「高いほう」は、低いほうが低くなればなるほど、横暴さを増す。モノゴトを力で実行に移させることに慣れ、成果を客観視することができなくなる。こちらも、自分が本質を見失っていることに気づかないし、なまじ高くなったがために、誰からもその指摘を受けることができない。


WEBには、「刷りあがり」という区切りがない。「間違い」ではない「改変」なら無限にネタはあるし、原理的には全てが制作者の手の中で完了が可能だ。
制作者と発注者のフェアでない関係がもたらすものが、どれだけの影響となって制作者にはねかえってくることか。

結果として、立場が低くなら低く、高いなら高くなるほどに、最初に目指していた両者の幸福は、叶わないものとなって遠ざかるばかりだ。

フェアな信頼関係を築くことが、よいWEB制作仕事の条件だと思う。

惑わず

いろんな組織に属しながら、これまで仕事する人生を歩んできたが、今回、思いがけず急に、はじめて、立場的に人に去られる側となった。
 「辞めます」と言う側は、とにかく辞めたい気持ちが先にたっているわけで、去ったあとのことなど考えない。自分にも何度も覚えがある。あとのことを考えられるうちはまだ希望がある。そのへんは男女の関係とも似ている。

過去に辞めると告げたときの、それぞれの上司や同僚を走馬灯のように思い出したりして・・実はものすごく落ち込んだのだけど、ちょっと開き直ってきた。

だってもうあとはアテがないのだから、一人、やるしかないでしょう。


チームワークを考えずに済むのなら、出来上がりさえちゃんとしてれば、ツールは何を使ってもいいわけだ。
まずCS3かな。STUDIO8でずっと様子見してきたけど、いよいよ考える。
それに、目の前の制作に追われているうちに、気づいたらいろんな技術が一般化しているようで・・
まだまだワカモノに食わせてもらえる立場にはならない。
「40にして惑わず」の雰囲気とは多少逆噴射気味ではあるが、ある意味、迷いがなくなった感じ。

ブログ

仕事や家庭の用事で忙しがっていると、ブログ文化からどんどん脱落していくのがわかる・・。
そんな中で、生命線となっているのがこちらのブログ。「アオモリ探検隊」
http://aomoritanken.com/index.html


個人的にものすごく縁のある会社のブログだってゆうだけじゃなくて、更新が滞らない上にやっつけじゃない記事が素晴らしい。ここまで来ると好きじゃなけりゃあできない仕事ではある、が、それが継続していることは、きっと会社にとっても、良い成果を知らず生んでいると思う。
あと、まいどくんhttp://maidokun.jp/top/も、さすがだ。もっと活用されてもいいよね。別に回し者というわけじゃないけど。

それにテクノラティへのリンク貼ってくれたりして、自分の書いた記事が更に役に立てばいいなという気遣いを感じる。やっぱり、ブログって更新する側の意欲が絶対大事だ。
SEOに良いようにとか、会社を良く見せるため、演出含みの記事を載せていこうとか、広告的な意図で制作したブログは、かなりの率で破綻している気がする。
生身の人間が、書ける範囲でほんとのことを書かなくては、ブログの意義がない。

カメラ

カメラを買おうと思っている。


いい写真っていうのが、昔からよくわからなかった私は、ずっと何となく、「写真」を知ろうとしてなかった。
中学の頃(25年も前ですけど)、当時仲良しだった男の子が写真部で。時々、写真部の写真展というやつを見に行った。でも、なんていうか、どれが良くてどれがどうなのか、イマイチ何も湧いてこなかった。
猫の写真観ても「ああ~、ね、猫だね」みたいな反応しかできない・・・
だけど彼の写真は、いいと言いたいじゃない?そんなわけで、複雑な気持ちになっていたのを思い出す。


あれから長いこと経って、いい写真っていうのは、「わーかわいい!」とか「楽しそう~!」、「きれい~!」とか、そういう撮るヒトの感じていること(プロなら、伝えるべきこと)が、写真を通じてみるヒトに、どれだけ伝わっているか、っていうことなのかなと、思うようになった。てことは、「猫だ」しか感じられなかったあの写真は、あまりいい写真じゃなかった、ってことなのか。
まがりなりにもWEB制作をしていて、素材としての写真がどれだけ威力を持つか知っていながら、その成り立ちを知らないというのは、どうなの?!と、最近思ってたんだよねえ・・


ということで、仕事仲間のアドバイスを元にして価格.comを回ったら、情報はたくさん。
ふむふむ、カメラの人たち(?)にはカメラの人たちの、書き込み持ち味みたいなのがありますね。
「学芸会を撮ろうと思う」「リレーをきれいに記録したい」「海外の町並みと夕日を撮りたい」といった個人的なシチュエーションを、みんなで一度ちゃんと共有して、自分なりのコメントをはさんでから、技術面の話へ移行する。
私が見慣れたパソコン系とは違って、たぶんそれだけカメラって暮らしと密着した趣味だからなんだろうと思う。
面白いな。

ほぼ日手帳

ヒトのブログで、「ほぼ日手帳を注文する時期がやってきました」みたいなことが書いてあって、へー、そういえばこの間も誰か、あれはイイといってたなと思って、WEBサイトを見に行ったら・・

買ってしまった。

今年はずっと、そんなに使いこなしてはいないのだが、一応手帳を準備してそれなりに使ってきたんだけど、思っていたのがとにかく「書くとこが、少ない」。
これも、ネットで評判をみて買った手帳だったのだが・・今の自分にあった手帳って、使ってみなけりゃわからないもんだった。

というような動機はあったものの、結局買ってしまったのには、良さそう!という印象を植え付けたWEBサイトの存在が大きい。
人気があるからああなのか、ああだから人気があるのか、いまや相乗効果なのだろうが、「ほぼ日手帳」ひとつに、あれだけ丁寧に構成を考え、写真を選び、文章をつけたWEBコンテンツというのは、すごい。
「ていねいな仕事」っていうのは、こういうのを言うんだって気がする。
ページから注文フォーム、確認メールまで、ひとつの世界で出来ている。
このWEB世界でも「ていねいな仕事」っていうのは、やっぱり威力を発揮するんだ、と思う。

もちろん、お金の問題というのがあるから、いつでも予算を度外視してイイ仕事に全てをかけるわけにはいかないけれど、気持ちとしては、

私もそんな仕事がしたいものです。

ブログ・・

昨日、細木数子がやってる番組をたまたま見ていた。
 「ブログとは、インターネットで公開する個人の日記のこと」。
というアナウンスといっしょに画面に出ているのはミクシイ、という時点で、
なんもかんも書き込むやつは、いっしょくたかよ!って感じなのだが・・

そのコーナーの主題は、ようするに、
インターネットのブログで、当たり障りない感じにプライベートを書き流し、
つながってきたひとと交流を持って、
ヤバくなったら消しちゃえばいい、というような、
希薄な人間関係の持ち方はダメですよという、細木数子の説教だ。
 「ダメですよ」というそれ自体は、異論はない。確かにそうである。
でもブログ=ダメコミ媒体代表みたいなつくりに、違和感。

でも、家族にそう言ったら、
黎明期は違ったかもしれないけど、今日本じゃ、「ブログ」ってそういうもんだからねえ・・と一言。

「ブログ」というものは現在の日本では一般的に、
浅くも深くもそれぞれにプロフ公開が主な目的らしい。


私だって、過去、ブログ以前の時代にリアルないろんなことを書いてきたから、
それ自体にはダメ出しできない。
でも、そうすることで、誰かとコミットすることが目的ではなかったのは確か。
ただ「書く」という目的。それを発したいという欲求だけだった。

パソコン上の「メルトモ募集」文化が、おかしな様相となっていったように、
対個人の交流を求めるととたんに、ネットは人をおかしくするのかもしれない。


最近「ブログを制作しています」という説明が、
何となくこちらの意図と違った受け取り方をされる理由が、ちょっとわかった気がした。
テレビでこんなふうに言われるくらいだから、「ブログ」ってもう、発信ツールじゃないんだね。

「ブログはコミュニケーションツールじゃなく、発信するツールです」
「発信したいことがあるのが、前提ですよ」
「それがないのにはじめても、ナンにもなりませんよ」

売り上げ倍増をもくろむ「ビジネスブログ」も泡っぽくてイヤだ。
ネットにひそむ怪しい幻影は、時代とともにただ品目を買え、
人の欲の、気持ち悪い一面ばかり浮き立たせるようで・・・・無力感。

BBS

もう数ヶ月前に、エレファントカシマシファンサイトでかつて一番にぎわっていたWEBサイトが閉鎖していたことを、さっき知った。

そのサイトは、はじめて自宅にパソコンを買い、ネットにつないですぐに見つけた。8、9年前だ。当時から数年が、掲示板的文化の最盛期だったんじゃないだろうかと思う。
たくさんの、エレファントカシマシの熱烈なファンがいて、それぞれのこだわりが、アーティストの特性もあいまってか長文の熱く難しげな文言で綴られた。傷ついたり共感したり、毎夜毎夜、いろんな出来事がうずまいていた。
「匿名可」「地域を越える」「糾弾」・・よくも悪くも、インターネットが感じさせる可能性自体が、熱かった。

人のサイトで言いたりなくなった人たちは、こぞって自分のサイトを開設した。
写真や、絵、長文のレポート、批評文。そしてBBS。みんな自分の庭を手入れするのに、一生懸命。
・・・

その後、「ブログ」が登場して、「mixi」が登場して、ネットへ自分の軌跡を残す手段はどんどん洗練された。
ブログは、更新がネックとなってサイト閉鎖に至ることが多い状況を打破するのに、ある意味役立った。最初は、サイト中の日記コンテンツとして採用され、そのうち、「本サイトは閉鎖しブログのみ」というパターンも増えていった。

さらに、ブログと違って自分でスパムを処理したり、手を入れたりする必要がない(というか余地がない)mixiは、最近はほんとに盛況である。

デジタルに頼りきって、しかもそれを流布することで生活している人間がいうことでもないかもしれないが・・。
デジタル世界にはデジタル世界の、手作りがあり、血の通った感覚がある気がする。それは、実世界と同様、手間がかかり、ココロにストレスも加わる、面倒な。
百花繚乱の個人サイトが、なんとなくソフィスティケートされた、ブログやら、お手軽テンプレートやらになっていき、しかも開設目的がアフィリエイトだったりする今日このごろ。

たった10年前のはずなんだけどなあ。

座右の銘

会社を辞める少し前、
前のブログに、「魚屋のように商売がしたいのだ」と書いた気がする。
まあ、魚屋の実態は知らないけれども。

今、私は、魚屋のように商売ができているだろうかと考える。

何かに踊らされることなく、自分が納得いく商品を、納得いく値段で売る。
そのための努力を惜しまない。
そうしている以上は、商売は汚いものにはならない。
幸福な生きる糧となるはず。
これだけは、もう絶対に譲らないよ。
「魚屋」座右の銘ってわけじゃないですが。

 

感謝

この数週間、仕事でハードな日々が続いていて、ここ3日は、わりと精神的に追い詰められた感じがあった。
他に代わりをやる人がいない。なのに、目的を達することができない。もう後がない。
波が実は2つあって、先週1つめを越えたところで擦り切れてしまった感じもあってつらい。


プログラム系の仕事は、孤独な作業だ。黙々と作り、成果をみせたいと思っても、実際に動き始めるまでは誰の目にも見せることができない。プログラム言語は、なじみのない人には暗号にすぎず、こちらがどうかみくだいてもハナから「わからない感」が大きいせいで、単なる話としてですらなかなか耳に入れてもらえない。


それが昨日、橋渡ししていただいて、私の拙いプログラミングに助言してくれる人に会うことができた。お顔は存じているものの、お話するのはほとんど初めて、だけど、私の見えない困りごとをきいてもらった。
「わからない」ことについて、例えばアプリケーションの使い方であれば「これをこうしてこうやって」と伝えようがあるが、プログラムについて相談に乗るのは本当に難しいこと、よくわかってる。
人のコードほど読み解けないものはないから。

それを、いっしょに仕組みを読んで、ポイントを探して、それについて会話ができたことに、どれだけ助けられたことか。
技術的に助かったことプラス、精神的に。密閉状態だったビニール袋に空気穴が開いたみたいに、楽になった。
ほんとに感謝します。

仕事

予想外なところから、突然ふってわいてきた仕事があり、忙殺されていた。
実は決して得意な分野ではない。でも、他に選択肢がなかったので、頑張った。

ひと山終えて、いろいろ思った。なので、以下は呪文のようだが、ひと区切りである。
 「リクエストされたように作る」というごく当たり前のことを、至上とするかしないかが、良い仕事とそうじゃない仕事の分かれ目になる。「なんとなく出来そう」とか「少しごまかせばとりあえず」とかが、最初からアタマのすみにあると、スタート地点からダメである。
そしてそれを、よしとして進めてしまう空気も、空気。人情だけでは仕事はできない。
たとえ当初技術がなくても、根拠のある信頼があればよい場合もあり、それすらなければ信頼しきれるまで仕事しないのが、吉だ。

さて、なんかこれから1週間、さらにハードなものになりそうだが、・・・
良い仕事しようと思う。

 

コンビニ

ファミリーマート店長に介護資格を取得させて福祉サービスが出来るようにする
んだそうだ。


誰が考えたんだろう。すごく、いい。
 私の実家は町のど真ん中にあって、昔は買い物に不自由などしたことがなかったのだが、郊外型のお店が増えて、中心街は空洞化。両親は、普通の買い物に、バスに乗って出かけなくてはならない。

それ自体は、慣れもあって、買い物できる品々が増えたのも事実だし、さほど文句はないかもしれない。でも、「足りないもの」をちょっと買うには、不便だ。牛乳を買うの忘れてた!とか、そういう小さなニーズ。車など交通手段がある人が基準になっている買い物ゾーンで、そのニーズを手軽に満たせるのが、コンビニだと思う。


この間、出し遅れた年賀状をローソンのポストで出したら、母が、
「へーっ。コンビニで手紙が出せるんだね!気がつかなかった!」と言ってた。そういうアナウンスも、年配の人向けに積極的にしてくれるようになればいいな、と思ってたとこだった。いきなり、老人のために宅配サービスの充実を!とかじゃなくても、そういう目線でのサービスを心がけてくれるだけでも、何となく、いい。
といっても、ファミマって青森は、出来始めたばっかりだけどね。